本田(2009) 数数学教育現代化について

本田伊克(2009)「1950,60年代の民間教育研究運動の成果と課題に関する学校知識論的考察―数学教育協議会の事例に即して―」一橋大学博士論文。から、卒論に必要な箇所を要約しました。

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「現代化」指導要領改訂の動きは、1965年6月14日、文部大臣が教育課程審議会に対して、「小学校・中学校の教育課程の改善について」諮問したことに始まる。1967年10月30日、教育課程審議会から文部大臣に対しての小学校教育課程に関する最終答申があった。中学校の教育課程については、1968年1月24日に教育課程審議会から中間報告が発表され、6月6日に最終答申が出されている。
答申の基本方針はどのようなものだったのだろうか、順に見ていくこととしよう。第一項は「日常生活に必要な基本的な知識や技能を修得させ、自然・社会および文化についての基礎的理解に導くこと」、第二に生活習慣や態度・健康・体力の確立、第三に「正しい判断力や創造性、豊かな情操や強い意志の素地を養うこと」、第四に「家庭・社会および国家について正しい理解と愛情を育て、責任感と協力の精神をつちかい、国際理解の基礎を養うこと」となっている。
算数・数学について詳しくみてみよう。(一)目標については、数量や図形に関する基礎的な処理能力を育成することは、現行どおり重視すべき基本的なことであるが、現代の数学教育の発展を考慮して、「数学的な考え方」がいっそう育成されるようにすること。目標については、大きく改める必要はないが、現在、諸外国で進められている「数学教育の現代化」の動向をも考慮し、数学的な考え方がいっそう育成されるようにすること。
(二)内容については、基本的事項を精選して、数量や図形に関する基礎的な概念や原理の指導がいっそう徹底するようにすること。この場合、新しい概念を導入することも必要であるが、小学校の段階として無理のないようにすること。このことは、(a)内容については、基本的事項を精選して、指導の徹底が図れるようにする。その際、技能的な内容の一部、たとえば、「けた数の多い数についての四則演算」や、「帯分数をまじえた分数の計算」などについて、その軽減を図る、(b)新しく導入する概念としては、たとえば、集合、関数、確率などが考えられる。これらについては、単に形式的に内容として加えることをさけ、数量や図形の概念の理解、数量関係の考察等に関して、それらの観点に着目した指導が行なわれるような方向を考慮することをさす。
(三)児童の実態や指導の能率を考慮し、内容の一部について、その学年配当を調整するとともに、中学校との関連を図ること。これらの三点となっている。
さらには授業時数も変更された。従来の「最低授業時数」から「標準時数」に改められ、各学年の時間数および総時間数は前回の学習指導要領と同じであるが、「標準時数」の規定によってその増減の幅が認められ、一時間の授業時間も45分を標準としつつも40分の場合もあり得るとされるなど、弾力的運用が可能となった
学習指導要領算数科編の内容をみてみよう。そこでは「日常の事象を数理的にとらえ、筋道を立てて考え、統合的、発展的に考察し、処理する能力と態度を育てる」ことが目標とされている。このため、(一) 数量や図形に関する基礎的な概念や原理を理解させ、より進んだ数学的な考え方や処理のしかたを生み出すことができるようにし、(二)数量や図形に関する基礎的な知識の習得と基礎的な技能の習熟を図り、それらが的確かつ能率よく用いられるようにし、(三)数学的な用語や記号を用いることの意義について理解させ、それらを用いて、簡潔、明確に表したり考えたりすることができるようにし、(四)事象の考察に際して、数量的な観点から、適切な見通しを持ち、筋道を立てて考えるとともに、目的に照らして結果を検討し処理することができるようにすることを目標としている。中学校数学科編も同様なものである。
小学校学習指導要領算数科編は1958年版からはどのように変化したのだろうか。比較してみると「数学的な考え方や処理のしかたを、進んで日常の生活に生かす態度を伸ばす」が、総括的な目標のなかに統合されるかたちで削除されている。一方、中学校の内容については、以下のような指導内容が新しく取り入れられた。数学的な考え方を一層充実させるという立場から、1.既成の概念や見方にとらわれないで、広く、いろいろな見方や考え方ができるようにと、記数法(2進法、5進法の程度)(中1)、位相的な見方(点・線・面のつながりなどを問題にして)(中3)、2.概念を明確なものにしようと、数の構造(演算についての閉性、単位元、逆元、整数の集合の離散的と有理数の集合の桐密性)(中2)、関数の意味(変数と対応)(中1)、標準偏差、標本調査(中3)、3.統合的な見方ができるようにと、不等式(方程式の解と不等式の解)(中1)、4. ・論理的な思考が十分できるようにと、背理法(中3)、5.関数記号(f)(中2)となっている。
精選された項目は、1.削除したもの:尺貫法、ヤードポンド法(1959年1月1日からメートル法が完全実施されたことに伴って)、三角比、投影図、分数式、3.軽減したもの:式の計算、二次関数となっている。
このように現代化が進められた際の理論的背景は、アメリカのSMSGを始めとする欧米の数学教育現代化動向とブルーナー仮説であった。「どの教科でも知的性格をそのままに保って、発達のどの段階のどの子供にも効果的に教えることができる」(ブルーナー(1963))という仮説は、より難しい内容をより低い学年で教えることが可能だという考えを支持するものとしてうけとめられた。
一方でSMSGの方はどのように受け止められたのだろうか。半官半民の教育団体である日本数学教育会によれば、「20〜30年後までの数学教育の見通しのもとに、数学の一般教育における重要性、また数学の果たすべき役割を明確にし、現代数学における根本概念、その構造の早期導入によるカリキュラムを、生徒の直観的な、前数学(Pre−mathematics)的な考え方から出発し、生徒の想像力、発見的な態度を伸ばしつつ、螺旋状に教材を配列し、公理系の必要性の発見、公理体系の理解、さらにはその構成までを意図したものである。換言すれば、このカリキュラムにより、幼稚園から第12学年までの13か年の教育を終えた生徒は、現在の第一流のカレッジで3か年学んだ成果と同じ程度までの水準に到達することをねらっている」(日数教1972=1964、17−18頁)とされる。後述するように、SMSGのカリキュラムは批判を浴びたが、中学校では代数構造が取り扱われるようになるなど、現代化学習指導要領にはSMSGを支持する勢力の一定の影響がみられる。
学習指導要領改訂の方針をめぐる議論の動向はどうであったか。当時学習指導要領制定に携わっていた高校教師長野氏へのインタビューによれば、現代化指導要領のときの推進役になっていたのは東京教育大学(現筑波大学)の秋月康夫と、立教大の関摂也であったという。関が指導要領の冒頭部分を書き、1970年に出された高等学校指導要領を主に秋月が書いていたという。また、日数教の元会長であったの植竹恒男はSMSGの本をいち早く訳して日本に紹介し、高校を中心としてSMSGのプランを積極的に取り入れようとしていたとされる。
長野によると、秋月と植竹の後見役は数学者の彌永昌吉であったという。東京大学の名誉教授室では、珊永昌吉と秋月を筆頭とする「数学教育の会」が作られ、そこには植竹も長野も参加していた。またこの会には小・中・高の教員も参加し、数学者と数学教育者(教飾)が対等に議論していた。彌永・秋月ら数学者は教育現場から出される知見に対して謙虚な姿勢で臨んでいたという。
指導要領の内容についての審議の様子はどうであったのか。1年間だけ指導要領作成協力者として審議に加わった学校関係者A氏のインタビューによれば、そこでは、アメリカを形だけ後追いするような雰囲気が支配的であったという。何か、アメリカに負けないようなカッコイイものを出せと言われたAはこれに対して、「変換」と答えたエピソードを語った。また、同じく指導要領作成協力者として意見を求められた小高氏へのインタビューによれば、自身がSMSGプランを実践してみた結果、数式の計算、関数、図形の論証など日本の教育課程がより進んでいる面も踏まえたうえで、じっくりと慎重に検討する必要性を述べたという。
長野によれば、現代数学に造詣が深かった数学者に対して、数学教育者はSMSGなどアメリカの現代化成果を、あまり本質を理解せずありがたがる傾向があったという。小高やAが参加した審議の場に漂っていたのもそうした空気であった。長野は、数学教育者は、現代数学に日々接していた数学者に対して、もっと生徒・国民の立場から現代数学を教育することの意味を、見識をもって問うべきであったという。だがかれらは欧米の流れに「乗り遅れるな」という風潮に乗ってしまった。文部省に通底していたのはそういう意識であったという。
もっとも文部省の中には、数学教育の現代化については逆の意見もあった。文部省教科調査官であった中島健三によれば、現代化は海外でもまだ実験的、流動的な段階であって、日本の数学教育についてはそれぞれの時代のよい考えをとり入れて何回も改訂をはかっているから「諸外国ほどあわてる必要はない」し、むしろ外国の方から改めて注目されるような内容をもっているという見解もあった。そして、学問的にも正しいとされ、高校・大学に行っても修正しなくていいような抽象化された形のものを与えることを急ぐSMSGの考え方に対して、経験や直観に対する軽視、子どもの心理的発達の特性への配慮の欠如が懸念されてもいた。1968年の教育課程審議会答申の文面にある、「目標については、大きく改める必要はない」、「基本的事項を精選して、数量や図形に関する基礎的な概念や原理の指導」を「いっそう徹底する」、集合、関数、確率などの新しい概念を導入する際には「児童の実態や指導の能率を考慮」するといった文言には、こうした立場が反映されていると考えられる。
数学のもっている論理的な面、抽象的な面にもっと反省を加えて指導していくことの重要性も中島は主張している。ここで言う反省とは、数学を実際に用いる立場からの必要性に照らしてその意義を見極め、形式的な数概念がもつ適応性・多産性に目を向けることである。さらには数の概念を理解させるには抽象した意味内容がつかまれるようにすることが重要とされている。そこでは、具体的なものから出発し、具体的なものが概念に対応して想定できるようにすること、抽象されたことばだけをはじめから子どもに与えないよう注意することが求められた。だがもう一方で、いつまでも余分な属性をもった具体物から離れないで残っていたのでは概念の理解とは言えないとも言う。
現代化の過程における新聞の論調はどのようなものであっただろうか。答申の中間発表段階での朝日新聞を見てみれば次のように好意的に論じている。
「戦後、わが国の学校教育は生活と経験を重視するアメリカ教育の影響をつよくうけたが、この流れに「生活綴方」や「社会科学的」な社会科がまじりあって、活気はあるが一種の混迷状態が続いた。しかしその後、新教育による学力低下と非行問題がクローズアップされ、33年に小、中学校の教育課程は全面的に改定された。このときの改定は基礎学力の向上と道徳教育の強化を重点的にとりあげ、これが現在にもひきつがれている。
しかし、この改定も現実に実施してみると、進学競争のもとでは、詰め込み教育の弊害が目立ち、他方、体育や情操面が軽視されることになった。そこでこんどの中間報告は、各教科について詰め込みをやめ、教育内容をしぼることにし、知育、体育、徳育のバランスのとれた教育をめざしている。教育の正常化という意味あいから、この趣旨には異論のないところだ。」
現代化指導要領には、ブルーナーが主張した、カリキュラムの構成原理としてのスパイラル方式が採用されていた。スパイラル方式は、指導内容をある学年、ある時期に集中するのではなく、発達に応じて徐々に形成していくのが望ましいという考え方として引き取られた。例えば、「負の数」を小学校から、「分数」を小学校1・2学年から少しずつ取り扱っていくかたちになっていた。だが、この方式では何度も同じことが出てくるように思われるむだ、そのために生じる時間的な不経済がカリキュラムの過密化をもたらし、学習内容の定着を測る時間を奪っていると批判された。
スパイラル方式を撤回するべきだという意見は、中国地区数学教育会・四国数学教育会が1976年1月から2月にかけて小学校481校を対象に行なったアンケート調査結果にも表れている。そこでは分数や関数については各学年で重複させるのではなく、より上の学年で集約して取り扱うべきだという意見が5割近くあり、負の数や確率についても中学校に送るべきだという意見が約半数を占めていることから、スパイラル方式をやめるべきであるという意見がかなりの割合で出されていることとなる。
以下では「数学の考え方」の項目を中心に、指導要領の内容とそれへの反応を見てみよう。小学校算数の内容については、複雑な技能的内容の軽減が図られた。その一方で、第4学年から教師の判断によって「集合の考え」を指導してもよいことになり、集合についての用語、記号としで「集合、要素、{}、⊃」程度を指導してよいとされたほか、「関数の考え」「確からしさの考え」が入るようになった。指導要領には、集合の用語や記号を形式的に指導することがねらいではなく、「数や図形の内容などを集合の観点に立って考察し、これらの概念をよりよく理解し、このような[集合の]考え方をのばすように指導すること」とある。しかし、各教科書には事実上の必修事項として集合の用語・記号が入り、実際の指導も用語・記号の形式的指導となってしまうということが起こったようである。
教育現場では「数学的な考え方」、「数学的な考え」を育てるという考えに対しては、時間ばかりかけて考えさせるばかりで、基礎的な計算の練習をする時間が確保できず、学力低下を招いているとされた。この問題については、77年改訂指導要領制定のための教育課程審議会の全体会議でも非常に大きく取り上げられた。審議会委員であった高橋陸男によれば、審議会の中でも計算力が落ちているという意見と必ずしもそうではないという意見が分かれていた。しかし、教課審としては実際に教育に携わっている現場から計算力が低下しているという声が出ており、それを無視するわけにはいかないということになったそうである。こうして、1976年10月に出された中間まとめには「数学的な考え方の育成」とともに「計算力等の基礎的技能の習熟」という表現が取り入れられたという。
「集合の考え」、「関数の考え」、「確率の考え」の趣旨は「統合的、発展的」な学習ということばに込められているように、現代数学的な概念を他の内容の学習を有効に学ぶために用いるというものであった。だが、現代数学的な概念がいかなる価値を有するかということについての吟味や、新しく導入された諸概念が、古くからある諸概念の獲得にどのようなかかわりを持つものかの吟味は不十分であった。だから、「考え方」の指導が内容を欠いた形式的なものに堕することへの数教協の懸念は的外れではなかった。また、国立教育研究所の調査の担当者の一人は、集合など新しく付加された内容の部分だけでなく、従来から変化のない内容の部分に、その習得状況からすれば「かえって問題の大きな部分」があると指摘している。
「数学的な考え方」そのものの中身があいまいであるという問題もあった。数量化すること、図形化すること、記号化すること、一般化すること、特殊化すること、帰納的な考え方、逐次近似的考え、類推的考え方、演繹的考え方、拡張的考え方など、数学者や数学教育者の間でも様々なとらえかたがなされたが、共通の理解は得られず、またどれも教育実践上の有効性・具体性を欠いたものであり、教育現場には困難がもたらされた。
そして何よりも、大学で数学を専攻したか、数学教育に関心の深い教師を除いて、多くの教師たちにとっては「集合」、「構造」、「関数」といった現代数学的な概念が何を意味しており、いかなる意義をもっているかということが理解できないまま実践上の対応を迫られたという事情があった。文部省は現職教育のために多額の予算を確保し、「数学教育現代化講座」と銘打った講習会を各地で開催し、地方の教育委員会も協力を惜しまなかった。しかし、教師たちに現代化の意味や意義を浸透させることは困難であったようだ。
こうした状況のもとで、「集合」「関数」「構造」といった概念は教育内容の「精選」や単純化・統合化に結びつくことはなく、これらの概念そのものを伝えることに目が向けられた。少なからぬ学校がこれらの用語・記号の扱いに戸惑い、あるいはこれを教える必要を感じていなかった。
教育の現代化を掲げた新指導要領は、小学校が1971年、中学校が1972年から実施された。早くも1973年頃から、難しい、内容が多すぎる、間口が広くあれもこれもと取り入れて中途半端である等の声が起こり、「新幹線教育」「落ちこぼれ」「落ちこぼし教育」などということばが新聞をにぎわすこととなった(奥田(1985)、747頁)。
父母たちの不安と不満も大きかった。ある教師によれば、当時の母親からは、「このごろの算数はむずかしくて家庭では教えられない」という声がよく聞かれたという。何が難しいのかと聞くと、集合という言葉が返ってきたという。この教師は「お母さん方にわかる――身につく算数でありたい」と語っている。なお、父母と教師の関係についてはこれとは逆に、集合など父母がわからない現代数学の概念を導入することによって、父母の学歴の高まりにより脅かされている教師の専門家としての地位を確保するものとして期待する声もあがっていた。
中学校では新たに加えられた内容が多いことから、文部省は1968年度から五か年にわたって、各都道府県教育委員会の協力を得て、数学科担当教師に対し、「数学教育現代化講座」を実施した。文部省『中学校新しい数学教育−−数学教育現代化講座指導資料』によれば、こうした新教材の内容の理解のみならず、今後の教学攣育の発展のために、新しい数学の考え方を十分理解し、数学教育に当たる必要があるとの配慮から講座を実施するということであった。
現場からは、「数学的考え方」を身につけさせる学習には、たとえば2位数×2位数がわかれば、子どもたち自らの力で3位数×3位数もわかるというふうに、考え方を形式的に与えるかたちではない指導を展開したい。しかし、それをクラス全体で実現するには能力差・学力差が大きすぎ、時間も限られているため、教え込んでも身につけてもらわざるをえない。既習のものをベースにして新しいものを考え、創り出していくことが望ましいことだが、そのためには、基礎的な計算力を十分つけるために必要な時間も含めてもっと時間的ゆとりを生み出せるよう内容をうんと精選して、何が重点事項かを明確にしてほしいという声があがっていた
1960年代に様々に試みられた現代化の試みのなかには、子どもによって創造的・(再)発見的に原理や概念が、学習の内的推進力を伴って獲得される文脈の構築、「不透明な」学習・発達過程に一筋の光を当てようとするものが確かに存在した。だが、実際に出来上がったカリキュラムでは、旧来の内容が未整理のまま、より上の学年の内容や教材が下の学年に降ろされることになり、教科内容の過密化、肥大化を招いた。
遠山啓を代表とした教育団体の数学教育協議会(数協協)も現代化学習指導要領に全面的な批判を行った。批判の基本線は以下の通りである。文部省の掲げる現代化は、アメリカ流の「超現代化」の主体性のない直輸入版である。そこには一方に「数学至上主義」あるいは「形式主義的頽廃」ともよぶべき傾向があらわれており、同時に初等教育の面では、初等数学がおろそかにされるために、逆に学習を経験や実感に任せる傾向が引き起こされている。文部省版現代化にみられるこうした学問至上主義と経験・実感主義のカクテルは、産業の労働力創出要求のなかに含まれている能力主義的差別化の衝動に教育内容の面から呼応する役割を果たしうる性質をもっているというものである。
数教協の新学習指導要領に対する批判のポイントをより具体的に挙げると、次のようになる。
(一)現代数学を、教育内容・方法の構築原理としてではなく、生の形で注入しようとする。
(二)大学・高校のような上級学校から手をつけ始め徐々に下へ及ぼそうとする。下級学校、とくに小学校の数学教育は本質的には何ら革新されていない。中学校のユークリッド式の幾何学や、小学校の暗算や文章題などの「ガラクタ」が放置されている。小学校、とりわけ低学年は非系統性の「ゴタゴタ」と「現実べったりの泥沼」の中に置き去りにされている。
(三)上位30%ほどのいわゆる<英才>を当面の目標としてカリキュラムを作成する。中学校学習指導要領では、内容の取り扱いを地域や学校の実態および生徒の能力・適性に応じておこなってもさしつかえないとしているが、これは二重・三重の能力別となっている。
(四)下からの運動としてではなく、権力の側からする上からの改革となっている。オペレーションズ・リサーチゲーム理論などの「管理数学」への志向がみとめられ、そこでは現代数学の「二つの顔」のうち、人類の知能の最高の達成という側面には目を閉ざし、もっぱら社会の高度の管理技術としての現代数学を教えようとする傾向がみられる。
(五)「数学的な考え方」は内容を欠いた形式的指導に堕する。」