上昌広、「医療崩壊の原因」の要約

上昌広、「医療崩壊の原因」『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言』(2012年、蕗書房)の要約及び思いついた提案です。

当論文では日本の医療崩壊の現状を整理し、それが加速するであろうことを予言しています。また、それへの対抗策を提唱しています。

日本の人口あたりの医師数は欧米先進国と比べて少ないとされます。医療現場の感覚としてもそのことは実感があり、彼らはひとりひとりの労働強化によって対応してきました。その背景には医師数の規定も含め、医療のシステムを厚労省が一元的に定めていることがあります。医療崩壊厚労省の政策の失敗によるものと著者は主張します。

医療崩壊の端緒を筆者は2003年ごろと定めています。医師が、実際には勤務していない僻地の病院から給料をもらう「名義貸し」と呼ばれる慣習が報道により明るみに出ました。それと相即的に病院の倒産が多発したのです。「不労所得を得ている」との批判であったわけですが、そのような奇妙なならわしが蔓延っていた背景について報道されることはほとんどありませんでした。一つの考えとして僻地の病院にとっては「名義貸し」は医師不足対策のための必要悪であったというものがあります。厚労省の規定により、医師定数を満たさない病院は唯一の収入源である診療報酬を受けられません。僻地は常に人手不足でありその基準を満たすことが困難でした。したがって「名義貸し」なしでは経営が成り立たないといったものです。この根源的な問題に対して厚労省は抜本的対策をとりませんでした。すなわち「名義貸し」表面的な処分・規制を強化するに終わったのです。

筆者は「名義貸し」は改めるべきだが、実情にそぐわない法律に現場を無理やり從わせるべきではないと考えています。具体的には地方の病院の設置条件を緩和、非常勤医師の積極的活用といった案を提唱しています。特に公務員の兼業規定の緩和が良いと主張します。地方の病院勤務医は多くが公務員であり、彼らは休日や夕方以降に勤務先以外の病院を援助に行こうとしても国家公務員法地方公務員法の専業規定に抵触する可能性があるため、行くことができない。よって公務員医師の兼業規定を緩和するだけで、大幅な医師増員と同じ効果があるといったものです。

医療崩壊」という単語の全国紙における使用頻度は2006、2007年に激増し、そのことにより国民は医療危機というコンセンサスを得ました。そのことには以下の二つの改革、研修医の二年間に渡るスーパーローテートの義務化と研修医の非常勤が禁止されたことと医療訴訟が増加したこと、これらの因子が作用しているのであると筆者は主張します。

スーパーローテートとは、主要な診療科をすべてまわることを指します。義務化以前は大学卒業と同時に各専門医局に入局して専門の研修を始めていました。しかしスーパーローテートにおいては各専門医局に短時間しかとどまらないので、実践的な戦力となれず、事実上「お客さん」として扱われるのです。そのため、職場の医師・看護師・薬剤師などとの人間関係の構築やしきたりに精通することもできません。この結果、多くの意思は二年間の臨床研修を終えて専門を決めたあとから、本格的な医療スタッフとしての経験を積むようになりました。つまり、医師として一人前になるのが二年間遅れたのです。この制度導入に伴い、医療現場への医師供給がストップしました。大学病院は研修医の労働力不足を補うために、地域の中核病院から中堅医師を引き抜きました。結果として地域の中核病院の崩壊が進んだのです。

では、研修医の非常勤が厚労省によって禁止されたことはどのような影響を及ぼしたのでしょうか。給与や立地条件が悪い病院は、研修医を比較的低賃金で雇用し、簡単な仕事をしていました。給料の安い研修医にとってもそれは好都合だったのです。しかし、非常勤が禁止されるという急速な変化に対応できなかた病院は閉院せざるを得なくなりました。

一般に国家政策としてなされた大改革は失敗だらけと筆者は主張します。おそらく医療は地域ごとに多種多様であり、国家が統制するだけではうまくいかない、並びに医療現場が構築してきた代償システムが大改革によって機能しなくなるのであろうと指摘します。

医療訴訟に関しては、訴訟社会であるアメリカと比較しながら筆者は論を進めます。医療訴訟への医師の対応として、医師賠償責任保険(医賠責保険)という保険商品が存在し、リスクをヘッジしています。医賠責保険は高度医療に従事する医師にとっては不可欠な社会制度であり、医賠責保険が破綻したらだれも危険な医療行為は行わなくなります。しかし社会の認知度は低く、基盤が脆弱です。現在、日本の医療過誤の賠償額は急速に高騰化しつつあり、死亡事例を扱った医療過誤訴訟については、賠償額は一億円を上回ることが珍しくない、そのことを日本の医賠責保険は想定していません。掛け金も低額であるため、例えば日本医師会の医賠責保険は多額の累積赤字となっています。過去のアメリカも医療過誤の賠償学は極めて工学で、そのことがアメリカの幾つかの州での医賠責保険の崩壊をもたらしました。結果医療崩壊が起きてしまったのです。同様なことが日本でも起きる可能性があります。アメリカでは患者と医療者ともに訴訟に対する疲労感が強く、「医療訴訟の乱発が医療システムを崩壊しかねない」というコンセンサスを生みました。ではどのような対策が考えるのでしょう?

医賠責保険はそもそも医師・病院に過失がなければお金が支払われないシステムとなっています。しかし、医療事故では過失認定が困難であることが多く、そのため過失認定をめぐって医療者と患者・家族の主張が真っ向から対立し、長期間に民事裁判に発展することも珍しくないのです。この状況は、患者・家族にとっては医療界の隠蔽体質に、医療者にとっては医療の不確実性に対する無理解に映ります。一方第三の立場である病院経営者は紛争が長期化して病院経営に支障が出ることを嫌がります。そのため金銭で決着がつくのであれば、過失を認めて早期に示談をしようとする傾向が強い。福島県大野病院事件にもそのことが背景としてあります。まず著者はこの慣習は改善すべきと主張した上で、根源的な解決策としてメディエーションという方法論、ならびにそれを基礎とした裁判外紛争処理(ADR)という手段に期待を寄せます。

メディエーションとは、メディエーターという専門技法を有する第三者が当事者同士の対話に寄り添い、患者側と医療側の対話の橋渡しをするものです。メディエーターの多くは病院の看護師があたります。メディエーションの目的は、医療紛争の発生後できるだけ早期に当事者同士の会話を促進することで、当事者の認知を変容させ、納得のいく創造的な合意と関係再構築を支援することです。自動車事故などと比べて医療紛争は感情的軋轢が強いとされます。医療事故にあった家族には、「医学的な正しさ」以上に求めているものがあり、医療界はそれに十分に対応してきませんでした。それを補い、対話を促進することで紛争を減らすことを目的とした、医療者が身に付けるべきスキルとしてメディエーションがあると筆者は紹介します。

ADRとは高額な訴訟費用を必要としない紛争解決手段となります。裁判では判決のための法的事実が確認されるわけであり、では患者や医療者が知りたいと思う医学的事実が明らかにされるわけで決してないのです。ADRでは仲裁・調停・斡施などの手法を用い、迅速に紛争を解決した上で真相の究明と適切な説明をすることを目指します。医療事故では患者・家族と医療者はともに真相の究明と適切な説明を欲するという点では一致しています。しかし実際に施行することには様々な困難が伴います。患者と医療者側が協力してプロセスを積み上げなければなりません。その過程で双方の信頼関係が醸造され、時には両者が納得する解決に至ることもあるといった思わぬ副作用もあります。ADRでは医療者側と患者側の間に介在する人物が、対話を促進するメディエーション技術を身につけているか否かが重要になると筆者は主張します。

しかし現時点で医療ADRは未確立であり、応諾率は低く、関係者は満足していないと現状を指摘します。


以下思いついた提案です。

  • 医療は崩壊したとされるが、そもそも再−建できるのか、すなわち元々システムに欠陥があり、それが露呈しただけではないか。
  • 医療者が身に付けるべきスキルとしてメディエーションが提案されているが、患者・家族が見に付けるべきスキルというものはあるのか。